サイト運営目的・管理人紹介はコチラ!

“父親をどうしても許せない”からの脱出記録

ココロの話
スポンサーリンク

はじめに

この記事は、死んで10年経った今でも父が大嫌いな私が、父のクズ人間性とあえて向き合うことで、強い憎しみの感情から抜け出そうとする記録です。

親という存在は大きな影響力があります。親の価値観・習慣・口ぐせなどは、自分が意図していなくても人生に反映されやすいもの。

なので、親に対して強いネガティブな感覚を抱き続ける状況は、自分という名の入れ物を歪めている状況でもある――と私は考えています。

そんなネガティブな感覚、どう処理すれば良いかわからない方も多いのではないでしょうか。

個人の体験談にはなりますが、本記事では「ネガティブな感覚をネガティブ以外の感覚に変換していく」流れをまとめています。

似たような想いを持つ方へのヒントにもなれるよう書いたつもりですので、目を通していただけたら幸いです。

それではどうぞ。

ひとつの出来事で、人は何度でも傷つく

父がクズ――こう書くとちょっと刺激的ですが、割とよく聞く話でもありますね。そんな“割とよく聞く話”になると、こんな発言が聞こえてきます。

  • あなただけじゃないよ
  • そんな人、世の中に沢山いるよ

私はこの手の返答が嫌いでね。だから何なのかってね。みんなそうなのね!良かった!嬉しい!とはならんでしょ。

こういう言葉って、大抵「傷つけた側」或いは「傷つけられたことのない側」から出るんだよね。傷つけられた側からは出ない。過去のことでも、人間はひとつの出来事で何度でも傷つくのを知っているから。


話は逸れたが、亡くなった相手へのネガティブな感情を抱え続けるのは、なかなか疲労感があった。この世に居ない相手に怒るのって、なんか普通に怒るより疲れるんだよ。

いい加減なんとかしたいと自分なりに感情の消化をしてみたが、ダメでね。そこでふと感じたのが、頭の中だけで消化しようと思ってるな、と。書き出してじっくり分析したらどうだろう、と。なので、今まで頭・口・心で抱えていた想いを、文字でまとめることにした。

父のクズ属性を簡単に紹介

Photo by Caleb Jones on Unsplash

さて、クズといっても色々なパターンがありますが、私の父はこんな属性でした。

  • よくウソをつく
  • “何もしない”の正当化
  • トラブルメーカー(借金など)

よくウソをつく

本人曰く「ウソをつくことに抵抗がない」とのこと。問題が表面化する前とか、家族が知らない行動を取った時に出てました。

そのウソがまぁ~しょうもない。その場を誤魔化せたらいいや、レベルの下手ウソ。ここにあるのが明らかにおかしい物を突っ込まれて「もらったんだよ」みたいな、そんなにウソつきたいのならもう少し内容練れや…って感じ。

“何もしない”の正当化

自分が何もしないこと、或いは問題を起こしたことを正当化する人。実際にあった話をすると、この正当化で印象的だったのは、ある年の母の誕生日。

その日、父から母へのプレゼントは「おめでとう」のひと言のみだった。他、なし。

別に母は誕生日が嫌いなタイプではないし(むしろ好きなほう)、我が家は家族の誕生日には毎年欠かさずケーキやプレゼントを用意して祝っていた。当然父も、母や私たちから毎年祝われている。

だけど、父は毎年祝われても「じゃあ、俺も家族の誕生日に何か用意しよう!」とは考えなかったみたいで。理由はシンプル。

Photo by Giorgio Trovato on Unsplash

「金がないから」

…誕生日って、急にくる記念日じゃないし、毎年同じ日だし、お小遣いが少なくなる前にお金とっとけば、花や小物なら買えるし……本当にお金ないなら「夜ご飯作るよ」とか無形のプレゼントだっていいんだけどね……。

金がないから(プレゼント買えなくても仕方ないじゃん?)――なんだよね。お金がない自分を正当化して、おしまい。その先はない。思考の未熟さに改めて驚いた。

母は珍しく、涙を浮かべつつ話していた。

誕生日なんて事前にわかるのに「お金がない」は理由にならない。お金かけてと言ってるんじゃない。安い小物だっていい。それなら数カ月前から、数百円残しておけば済むこと。それもしない理由って何。どうして毎回相手のことを考えようとしないのか。

(うろ覚えだけど大体こんな感じ)

もっともです。父は、問題を起こした時でさえ自分の行動を正当化する人だったので、成長のなさに爆発したんでしょうね。あれは印象的だったな。

トラブルメーカー

仕事以外の行動基準が「欲求」から来る人で、時に問題へと発展していた。それでも、起こる問題は比較的小規模だったため、私たちが小さい頃は家族も夫婦仲もまあまあ良かったとは思う。

起こす問題の傾向が変わったのは、私が高校生の頃。今思うとギャンブル依存の始まりでした。元々パチンコ好きだったけど、勝った負けたで終わってたレベルだったのね。それがいつの間にか、お金をどんどん使うようにな………あとはお察しください。

話を聞いた限りでは、部署異動がキッカケだったようだ。異動先は誰が担当しても大変な業務内容で、ストレス耐性のない父は、鬱憤がギャンブルに向かったと。え、サラ金に手を出せばますますストレス増えるんじゃないの?

――こうなってからの父は、自分の人生を何かに任せて転げ落ちていくようだった。問題を起こす頻度も増していった。


一方で、周囲に恵まれていた人でもあった。問題を起こしてもフォローしてくれる誰かが、毎回いた。中には『その問題を助けてくれる人なんていたの?!』ってエピソードもあった。

あんなに自分勝手に生きてるのに恵まれやがって…と、私はひたすらにイライラした。ある時期までは。

最期まで逃げた父を見て

私が20代の時、父の身に新たな問題Aが起こった。今でいうブラック企業絡み。相手が悪質で下手に動くと余計状況が悪くなるような感じだった。本人がどうにかするしかなかった。

今までは自分が困っていたら誰か助けてくれたのに、今回は誰も助けてくれない……そう思ったのかはわからないが、父は病気で入院しました。そしてあっという間に逝きました。

母曰く、父は問題が起きた時「入院したい」と考えることが多かったみたい。入院を、問題から逃げる手段として捉えていたんですね。

望んで病気になったのだろうか。と思う。入院という状態を作ることで、周囲から無条件で優しくされつつ、問題からも逃げたかったのかなあ、と。

だって俺病気になっちゃったんだもん。優しくして。責めないで。ってね。父はその願望を、見事に現実化させていました。そして旅立った。


毎回誰かから助けの手があるのは、運が良い・羨ましい人にも思えます。しかし、助けがあるということは、自分で問題解決をする・しようとする機会を失うということでもある。

父はこれまでに挙げたような性格だったため、何度助けられても問題を解決しようと思う力や、助けてくれることへの有難さは芽生えなかったようで。

その結果が、問題Aという〔助けが得られない環境でのトラブル発生〕だったと。

今まで自分で問題解決しなかったみたいだけど、今回は誰も助けてくれないよ?どうする?と


こうやって書き出していくと『あ、私、父のことクズクズ言っている場合じゃないな』と心底思えてね。

父を見て気付けることが、山ほどあったじゃないか。

死んだから向き合えた

Image by Free-Photos from Pixabay

こうやって「父はクズ」を分解できるようになったのは、父が亡くなったから。死んだから向き合えた。

理由は単純で、生きている間はネガティブな感情を抑えるので精一杯だったのが、父の人生が終わり、新しい記憶が作られなくなったから。

特に借金が発覚してからは、頻繁に『この瞬間も、父はまたどこかからお金を借りているのでは…』といった不安・心配があった。当時は気付けなかったが、ずっと振り回されていた。

「死んだらおしまい」なんて言葉があるが、死=終わりではないと私は思う。死という現実を経験することで、関係性に変化を起こせたり、関係を作りなおせるキッカケになる。

許せない相手が今も生きているか、そうでないか――この差は、気持ちの整理を行う上で非常に大きい。

相手が亡くなってから後悔した方も多いだろう。そりゃ、後悔はないほうが良い。でも、後悔をするから相手と向き合おうと思えることもあるのだ。

あの時はあの道しかなかった

私も、後悔できない後悔がひとつある。大きな問題が起きてからは、優しくできなかった。しなかった。暴言を吐いたりね。

いくら本人に非があるとはいえ、父のような他人から優しくされたい人が、優しくされない環境に身を置くのはそれなりに地獄だったと思う。

そういった不満がまた新しい問題のキッカケになるんだよね……。

ただ、何度振り返っても、当時の私に「冷たい態度」以外の選択肢はない。軽蔑されて当然な行動を、あいつはした。どうして迷惑かけられた側が気を遣わねばならないのか。そこは譲れなかった。

仮に当時優しくできたとしても、父に優しさの意味は届かなかったと断言できる。許してくれたんだな、と思うだけ。そんな優しさはお互いのためにはならない。

後悔できない後悔――あの行動をとってしまった自分を、過度に責めなくて良い。あの時は、あの道しか見えなかったんだ。


と、本題前でこんなボリュームになってしまった。ここから一応、タイトルの内容に入ります。

“許せない”を終わらせるために実践したことと、そこで気が付いた「自分に必要だった価値観」をまとめています。

父の人生を書き出してみた

Photo by Kaleidico on Unsplash

今回、父の人生を書き出してみたんです。カテゴリ別で。

  • どんな両親・兄妹が居るか
  • どんな家庭環境だったか
  • どんな発言・エピソードがあるか
  • どんな出来事を経験したか

父という人間の背景には、何があるか――推測レベルだが、読み取れることがあるかもしれない。父の両親の記憶はほとんどない(※)ため、記憶力の良い母に協力してもらった。

(※祖父は私にあまり関心がなかったっぽい、だから記憶が全くない。祖母は甘やかしてくれたが、私が小学生の時に他界)

相手のエピソードをある程度知っている方・話を聞ける方向けかな。情報が少ない場合は、知ってる情報を年表にしたりすることで、何か見えてくるかもしれませんね。

実際話を聞いていくと、新たなクズエピ(※クズエピソード)が出てくる出てくる。いや、未公開分があるんかい…書けないわそれ……みたいな。

腸が煮えくり返るのをグッとこらえ、知っている出来事でも何でも、母の言葉をひたすらタイピング。10,000文字を超えました。本書けるね。

収穫たくさん…やって良かった

タイピングしている時は何度か髪の毛が逆立ちましたが、それを乗り切ると、個別のエピソードだった父の色んな話が“線”になって、父の人生の流れがわかりやすくなりました。

両親・兄妹がどういう人だったかまで確認したのも、良かった。詳しくは省略するが、父は父・兄に頭が上がらないような関係性だった、という印象を持った。色々話を聞くと、この2人にコンプレックスがあったんだろうなと感じる。

父という存在にあった背景がわかることで、父が少し人間に見えた。

管理人
管理人

勿論ロボットだったなんて思ってないけども、感覚的な意味でね。

怒りが長引いたのは、届かなかったから

Photo by Elsa Tonkinwise on Unsplash

この作業をしてハッとしたこと。まず、父が亡くなっても一向に怒りが治まらなかった理由が見えた。

父への感情が消化できなかったのは、どんなに訴えても、私の怒りや悲しみが届かなかったからだと。

なんで何度も家族を苦しめるのか聞いても、父はその言葉に対して答えなかった。答えられないのは当然で、特に理由はないから。自分のことのみ追求した結果、家族が苦しむことになったから。

その事実がまた、私たちを傷つけた。


父が起こした問題の中身によっては、家族会議が行われました。当時4人家族。弟はあまり加わりませんでした。父親を裁く場には参加したくなかったのでしょうね。

父はポツポツと問題を起こした理由を呟く。その理由があまりにもしょうもなくて…呆れる怒る母と私、泣く父――という流れ。

家族会議になっていなかったんだよね。振り返ると。私たちも父を責めすぎていたが、何より父が思考停止していたようで、コミュニケーションが取れていなかった。

「言っていることはわかるが、理解できない」と。

理解できないなら、どこまでなら理解できるか教えてほしかった。でも父は、ただ「理解できない」という限界を盾にして、家族の言葉に向き合いたくなかったのだろう。


父はいつもそうだった。都合が悪い時、その場に居たくない時、言葉でも行動でも逃げた。だから、最期まで逃げることしか考えられなかった。

そんな人への感情が消化できないのは、当たり前だったんだ。ぶつけた感情は、父には届いていなかったんだから。

スポンサーリンク

今の私が当時の父から得たものとは

父の人生を書き出し、父という人間の流れを探った。そうすることで『クズ』『カス』と批判だけしていた父の言動を、父の存在を、別な視点でも見られるようになった。

では、批判モードだった私のモヤモヤは、具体的にどんな感情・感覚だったのか。書ける範囲で今の私が表現したいと思う。

「恥ずかしい」で終わらせない

Image by Free-Photos from Pixabay

私にとって父は、父という存在から〔恥ずかしい存在の人〕という感覚になった。やがて〔家族に“迷惑”を運んでくる人〕という感覚にまで進化するのだが。

家族という存在から、敵という認識に変化しちゃったんだな。

勿論、父が働いてくれていたから私は生きてこれたのも事実。それは理解している。その事実もどこかへすっ飛んでしまう位、とにかく父という人が恥ずかしかった。

普段の振る舞いもイヤだったが、一番恥ずかしかった点は「自分の言動で、相手がどう思うか?」という視点が欠落していたこと。相手にとっての正解は選べなくても、自分なりの配慮さえできないことに、驚きと情けなさ、怒りがあった。

認めたくなかった。自分がそういう人の娘なんだということを。


それ以外にも、父の特徴はどれも受け入れられないものばかりだった。具体的には以下。

父の特徴
  • すぐバレるウソをつく
  • 自分で解決できない問題を作る
  • 他人がどう思うか気にしない
  • 相手の気持ちを考えようとしない
  • 自分が良ければそれで良い
私の特徴
  • ウソをつくのがヘタ
  • 何事にも消極的
  • 他人が自分の言動をどう思うか気にする
  • 相手の気持ちを想像し過ぎる
  • 自分より相手の存在を優先する
管理人
管理人

ウソはともかく、他は自分を大事にできるようリハビリ中です…

振り返ると、私にとって父は「価値観の枠外にいる人」だったんだよね。こういう父を見て育ったから、意識的に反対の特徴になっていったのかもしれないけれど。

そとがわのイメージ

ただ、こういう特徴を持った私も、それはそれで苦しい人生を送ってしまった。正直、これまで溜めてきた想いが多すぎて潰れそうです。だから文字にしているのだが。

『私の人生、どうしてこんなに苦しくなったんだ』

…この苦しみがどこから生まれたのか探るうちに、父を〔恥ずかしい存在、敵〕で終わらせるのではなく、特徴を適度に見習うことが必要だったのではないか、と考えるようになった。

そのひとつが、父の特徴を認識すること。

例えば、他人がどう思うか気にならない“鈍感力”までは真似できなくても、他人がどう思うか気にしなくてもいい“選択の自由”は習得できそう。といった感じ。

そう、父は私が持っていない感覚を沢山持っていたのだ。気付くのが遅すぎたが、父を通して養える感覚は多かったと思う。

自分勝手に生きてるのに人間関係には恵まれやがって悔しい羨ましい(長い)

Photo by Jakob Owens on Unsplash
Photo by Jakob Owens on Unsplash

『なんでこんな人でも、周りに人が居てくれるんだろう…』

なんだかんだで上司には気に入られることが多く、お客さんからの反応も上々。入院すると駆けつけてくれる地元の友人も、度々問題を起こしても見捨てない妻や子供もいる。

父の存在は、大きな疑問でした。人間関係で苦労した私にとって、相手の気持ちを考えない父が人間関係に困っていないのが、納得いかなかった。


この答えは今ならわかる。私は、自分を出していなかった。

父は自分中心。行きたいから。やりたいから。一方私は、他人中心。何かしようとしても、誰かが少しでもイヤそうにしたら引っ込む。自分の気持ちより相手の雰囲気優先。

他人を気にし過ぎるあまり、自分を表現する機会を失っていた。

結果、自分を表現できないから育めない。育めないから自分の存在や意思に、自信がない。よって他人で埋め続けようとする。以下ループ。

私が必死こいて悩んでいることを、父は何も考えずにやっているのが羨ましかった。悔しかった。

男性=敵という無意識

異性観って、多少の歪みならみんな持ってると思うんですよ。ただ私の場合は、望んでいないのに無意識のうちに膨らませていたのが問題でした。

こんな感覚がずっとあったんだなあって。素の自分を隠して隠して生きてきた結果、気付いたほうが良いことにすら気付けなかった。

よこになるひよ

男子はいじわるだ

何を言っても変わらない

▼▼

私は男子には勝てないんだ


なんで「男子」かと言うと、私の男性観の歪みが始まったであろう時期が関係します。

小学生時代、私は男子A・Bに毎日「からかい」を受けてたのね。いじめのような悪意からではなく、私をからかって遊ばれる。もうね、毎日泣いてた。泣かされるために学校に行ってた感あるよ。

小学生だから男性観なんてのはなかったけど、からかいが繰り返されるうちに無意識でネガティブな感覚が芽生えていたんでしょうね。

で、大人しくのんびり屋だった私は、ある時から反発した。手で。相手を軽く叩く的なね。でも不発だった。更にやり返されて結局泣かされたり、その様子を見た先生に変なイメージを持たれて終わった。

『私は男子には勝てない』というような、勝ち負けの感覚が育った。おそらく、同時に『私は弱い』という自己評価も身についたと思う。

別に男女は勝ち負けで決まる関係ではないが、毎回泣かされて終わった(=相手に勝てずに終わった)ためか、そのような感覚が始まったのだろう。


ここに父の存在や細かな出来事が入ってきて、私の男性観は大混乱。

うなだれるひよ

男性は私を傷つけていく。どうして私はこうなんだろう…?

▼▼

男性は私を傷つけるということは
私にとって男性は、敵なのか…?

歪んだ男性観の完成で~す。

でも、男性を攻撃しにいく(どこに?)つもりはない。っていうかそもそもモテたい。恋したい。彼氏欲しい。男性が敵?トンデモナイ。

知らず知らずのうちに、私の中の「男性とはどういう存在か」が分裂していたんですね。

この男性と一緒に居たい!と思う自分もいれば、男性は私を傷つけると思う自分もいる。対異性だけでなく、趣味や興味の分野でも、こういった感覚はずっとあったんですよね。

だからでしょうか、ズレた恋愛ばかりでした。私に全く興味ない男性を好きになったりね。

勘の良い人はお気付きでしょうが、そりゃあ上手くいくわけなくて…。

  • 私は男性には勝てない
  • 男性は私を傷つける
  • 男性は敵である

こんな風に思ってるんだもの。最終的にはダメになるしか、ないんです。


…20年以上前の話なんか引っ張り出したくない。恥ずかしいし情けないし。でも、私の男性観は自分で感じていたよりも早い段階から歪んでいた。という話。

自分を育てる

Photo by Jeremy Bishop on Unsplash

最後の1ピース。今回得たなかで一番重要な気付きかもしれない。

自分という存在を育てること。

父に欠けていた部分だと思っていたが、私にも欠けていた部分だった。


父のクズ属性を簡単に紹介で触れたが、父はウソにしろ正当化にしろ、そこからの成長ができなかった。何度問題を起こしても、誰かを頼るクセは変わらなかったし。

そして、行動を自分なりに工夫したり、家族や周囲との接し方を見直したりと、自分を成長させる(=育てる)前にお迎えがきた。

これはそのまま、自分に言えることだった。私もまた、自分を成長させることを疎かにしていた。成長していた“つもり”の分野が沢山あった。

簡単に書くと、自分の意思や気持ちを相手に伝えようとしなかった。言いたいことを飲み込むのが9割、感情的になってしまうのが1割。言葉より涙が先に出るタイプなので、可能であればその場から離れて自分を落ち着かせて、終わらせてしまう。

そんなことを繰り返したからか、限界がきてしまった。

先の男性観のエピソードひとつとっても、今なら『もっと暴れときゃ良かったな』と思う。だけど、長年そこにすら気付けなかった。

自分の人生で辛かった出来事をよくよく見ると『あれ?もしかして出来事たちに共通する教訓ある??』って考えるようになって、もっと自分を出しても良かったんだな…と知った。

自分の気持ちをハッキリ示す。言葉にする。自分に悪意を向ける人の発言を気にしすぎず、自分のための選択・行動をする。得たいものは得ようとしてみる。

そうやって、私という人間を作っていく――育んでいくことが必要だったのです。

おわりに

エピソードを聞く。書く。ワードにまとめる。自分の中の発見を書く。より適切な言葉で表現する。

ここまで一月以上かけた。父について振り返ったことは何度もありますが、時間と手を使って冷静に掘り下げたのは初めてでした。

数々のクズエピソード及びネガティブな感情を抱えながら書いていたため、最初のうちは

掘り下げて掘り下げて掘り下げて

つらいよ

状態でした。タイピング途中でキーボードをバンバンしてしまい、怒りが勝っていた。

そういえばAAって見かけなくなりましたね

でも続けると、少しずつだけど視野が広がってきた。

『父のこういう部分、もう少し早く理解していれば私もラクになれたかな』

…今まで、父のことを「許す」「許したい」「許せない」といった“許し”の視点で考えていました。でも、許そうとしても許せるわけなくて。

じゃあどうしたらいいんだろう?と書き出した結果、許すとか許さないという感覚から一度離れて、許せない相手との記憶とただ向き合うことが初めの一歩かなと感じました。

多分私はまだ父を許せていないし、読み返すとやっぱり腹が立つ。それでも、向き合っているうちに新しい視点に気付く自分がいるんですね。

『許せない“けど”、父はこの時、こういう対応が必要だったんだな』

『まだ許せない。“でも”、父の○○な部分は、生きていく上で重要な要素だと思う』

許す。許したい。許せない。以外解釈をつけ足していく――これが、許せない相手からの脱出の始まりなんだと思います。

タイトルとURLをコピーしました