役割の話。
スピリチュアルを辞めてから人生で大事にする言葉が少なくなった私でも、ずっと心に残している文があります。はじめに紹介させてください。
生物学者の福岡伸一さんの著書『遺伝子はダメなあなたを愛してる』より。
「遺伝子は私たちに子孫を残せと指令しているのではなく、むしろこう命じているのです。自由であれと。」
―第1章 パンダの戦略
生命体は子孫を残すように作られている・・・という話に関して、福岡さんのメッセージです。
ぜひ、この前の文章と合わせて読んでもらいたい。とっても背中を撫でてもらえます。
で、本題。
人生には自分の役割というものがあるらしい と気が付くと、ふっと心が軽くなるという話です。
少し前に、LGBTは『生産性がない』との考えを示した議員が話題になりました。
人間も動物である以上、子供を産み育てる(子孫を残す)行動に大きな意味を感じるようできているのだと思うし、子供という存在が生産性を表すひとつの要素であることは間違いありません。
一方で、人間の役割は子育てだけでもないとも言えます。人間は生きている限り、誰でも何らかの形で社会と繋がりながら生きています。代表的な行動が「労働」でしょうか。
そこには、与えたり与えられたり、支援したりされたりといった様々な生産行動が存在します。
世の中には生産性を表す行動は、実は沢山あるのです。
見方を変えれば、ひとつしかないと思っていたものも見えてくるようになります。
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人は人、自分は自分。頭ではわかっていても、同じ環境や条件で過ごしていると、比較の芽って出てくるもんです。
人それぞれ役割が違うわけだから、誰かにある役割が自分に無いことに負い目をもつ必要はないし、逆に、自分にある役割が誰かに無いことをとやかく言う必要もない。
だけど、社会の難しいところは、その人の評価が給料や役職などである程度見えてしまう点です。
『同じ仕事量なのに、なんでアイツだけ評価されるんだ・・・』『同期なのに、私はなかなか仕事が覚えられない・・・』
比較するつもりはなくても、どうしてもわかってしまう。
隣のあの人の立ち位置と、自分の立ち位置を比較して優劣をつけても、見つかるのは「自分の正解」だけということは、知っているのに。
そんなときこそ、役割という言葉の出番です。
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学校の授業でマラソン大会をやった人も多いかと思います。だらだら走りたいときだと、友達に『一緒に走ろうよ!』って声を掛け合いましたよね。
でも大体、結局バラバラになる。当たり前の話。
体格も、体力も、持久力も、スタミナも、足の速さも何もかも違うのに「一緒に」なったって、どこかで違いは出てくる。
せめて、一緒に歩こう!ですよね。
人生もこれと似ていて、仕事や趣味の目標だとか一時的なゴール位ならそれほど影響はないものの『一緒に走ろうよ!』を求めすぎると、かえって苦しみを生む可能性があります。
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命を育む立場もあれば、命を救う立場もある。
誰かの応援が必要な人もいれば、誰かを応援したい人もいる。
沢山の人に好かれたい人もいれば、誰かを好きになりたい人もいる。
お金を使いたくて仕方ない人と、お金を儲けたくて仕方ない人。
ビジネスを作り出す担当と、ビジネスを広げる担当。
売ってほしい声と、買ってほしい声。
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どちらの立場がなくなっても、その世界は回らない。世界を保つためには、どちらも必要なんだ。
自分の立場をどちらに置くかで、その後にやることも、必要なことも変わってくる。それを知らずに漠然と、いたくない立場から嫉妬したり苛立っても、苦しみは続いてしまう。
今いる立場がイヤなら、反対の立場に行くしかない。嫉妬や苛立ちは「反対の立場に行きたい」サインである―まずそこに気が付こう。
あなたの役割は、何ですか?