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「男が羨ましい」という感覚が離れない―その裏にあった本音とは

ココロの話
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私はこれまで、自己啓発やスピリチュアル情報を集めまくっていました。

その数少ない効果として、コンプレックスにある本音みたいなものは、セルフで掴めるようになった。情報という点が、線になることが増えた。

それでも、何年かかっても答えが掴めなかった疑問が「男が羨ましい」。この気持ちにある本音が、わからなかった。

で、文字にしていった結果、別に男になりたかったわけではないということが、わかった。やっと。

いい機会だと考えて、まとめておきます。似たような感覚を抱えている人の参考になれば良いな。


男や女の話となると、LBGTか?と思われそうだが、私はそのカテゴリに全く詳しくない。性別を変えたいわけでも、男の外見や機能が欲しいわけでもない。

共感が欲しいわけでも「わかるぅ」とか言われたいわけでも、ない。

ただ、どうしてこんな価値観になったのか、生きている間に掴まえなきゃいけないテーマだから、書くだけだ。


次からは、心あたりのあるケースを洗い出してみる。

ケース①「私が男なら、こんなにからかわれなかったのでは」

今更20年近く前のことを書くのは格好悪いが、不快だった記憶は、やっぱり忘れにくいのだ。

私の性格は「周りの目」で変わったと言っても、過言ではない。それ位“からかい(いじり)”が多かった。

元々は、積極性があって、周りの目を気にせず行動する子だった。いつからか、なるべく変なことをしないよう(=目立たないように)、反応を気にしながら過ごす子になった。

そんな「からかわれ」側のお話です。


からかいとは2パターン存在するものであり、本来はある程度の関係性のうえに成り立つ行為だと思う。

2パターンとは、男女関係なく相手に好意や親しみがあるパターンと、嘲笑や会話のネタとして消費するだけのパターン。

まれに、後者に見える前者(好意の裏返しのからかい)もあるが、好意がわからないなら、ほぼ後者なのさ。関係性が薄い人や、望まぬからかいは、される側が不愉快なだけ。

『からかい上手の髙木さん』という、シリーズ累計発行部数870万部の人気コミックがある。

かわいらしい絵柄に惹かれて読んだが、髙木さんのからかいにムカムカしたものを感じ、切り上げた。


それは、1話時点で高木さんの好意が読者に見えているから。私が経験した“からかい”との温度差が埋められなかった。楽しくもなんともない。

からかわれる側の人間は、何がそのトリガーになっているのかがわからない。

が、私にはひとつ心当たりがあった。

身長だ。

高身長女子はイマドキ珍しくもないが、当時は、からかいのトリガーとしては充分だった。

特に女子は、殆どこのパターンだった。

  • 大して仲良くない子が
  • 私と会ったり見かけると
  • ニヤニヤしたり、名前を連呼してくる

鈍感な私でもわかる。それは好意ではなくて、どこかバカにしているような、面白がっているような雰囲気だ。みんな苗字呼びだし。

こっちは相手のことを面白がったことはない。何故「面白がっていい」判定を受けなければならないのか。

対男子も、似たような扱いだった。忘れられないシーンがある。自転車通学をしていた高校時代、ある日の下校のこと。

制服のスカートで自転車通学をしていると、どうしても風でスカートがめくられてしまう。私は大体、体育用のパンツを履いて自衛する派でした。

とはいえ、風で丸だしのままもアレなので、手で抑えるじゃないですか。マナー的な。その時もまた、風が強かった。手で抑えた。

そのタイミングでたまたま、チャリ男子学生4人組とすれ違いました。同じ学校だと思うけど、知ってる人はいない。

すると、そのうちのひとりが大声を出したのです。

誰も見ねえよ!w

(他メン:ギャハハハww)

 

ただ防御していただけで、どうして私の評価をされなくてはならなかったのか。そもそも、スカート爆めくりのまま、1人真顔で自転車こいでる女もこええだろ?

ただ『見ない』それだけの言葉なのに、このひと言はずっと刺さったままです。


そうするうちに、ひとつの考えが浮かんだ。

『私が男だったら、こんなみじめな想いはしなかっただろうか』

私が普通体型だったら、目立たない見た目だったら……私が男なら―こんな気持ちにならなくて済んだのではないか。

ケース②「むしろ男に産まれたほうが、良かった?」

社会人になると、からかいは減ったが、今度は男に間違われるパターンが出てきた。

仕事柄、スーツや作業着(男女兼用)を着る機会が多く、そのケースで初対面だと、男と間違われたことが数回あった。大体男から。

相手に悪意は無いのはわかっている。けど、良い気分ではない。というか本人にわざわざ言わなくてよくない?マジで。

何度か言われるので、段々私も『男に産まれるべきだったのでは?』と感じてきた。身長も体型も、男だと丁度良い。むしろイケメン要素なのでは?確実にモテると思う。女でいるよりは。


なんて考えるけど、これって冗談でもナチュラルに「自己否定」だったんだよね。一種の。

ケース③「病院で言われた何気ない言葉」

振り返ると、病気の多い人生だった。しかも、割と大きい病気ばかりなのだ。

つまり、私の肉体と精神は、一致していない人生が殆どだったと考えられる。申し訳ない。

肉体も精神も「そっちの方向じゃねえよ!!!」って言われまくってるんだけど、正解がわからない。まだまだ模索中なんだろう。


幼い頃、まあまあ大きな病気をした。入院・手術で、将来的な影響は殆どなかった。ただただ医者と親が面倒みてくれる「入院と治療と見舞いの日々」だったので、当時の記憶はあまりないが。

むしろ、その時に担当した看護師さんの、何気ないひと言が頭に残っている。

本当に小さな、え?そんなことで引っかかってるの?って内容なんだが、その言葉がずーーーーっと気になった。

詳しくは書きたくないが、私の自由が、ちょっとだけ奪われた気がした。それが何故か、じわじわ心に沁みていたようで、忘れることはなかった。

自分でも不思議だ。どうしてあんな言葉が引っかかったんだろう。それ以外の選択肢だって普通にあるんだけど、当時の私にはなんだか重かったのかもしれない。

こんな風に、なんてことのない言葉が、トゲとして残っていることが非常に多い性格だったのだ。

ケース④「年齢」

年齢を重ねるにつれ、女性としての価値が減っている感覚が、うっすらある。

これは私が「30代未婚」という立場なのもあると思う。なんかイイ年して未婚ですみません、みたいな。謝るようなことはしていないが。

当然、30代未婚が悪いワケがない。縁なんて人それぞれ、何歳でも楽しく生きている女性は沢山いる。なんだけど、消えない。

そして、その感覚が刺激されるたびに、男の性が羨ましくなる。

男だから、女だから…という時代はもう終わりつつある。でも、男女それぞれの役割がある以上、立場が本当の意味で同じになる未来は、多分こない。

はじめに書いたように、性転換やジェンダーレスなどを意識したことは一度もない。

きっと、私は中途半端なのだ。性が、ではなく、女性という存在として。

どういう女で生きるかも明確でなく、かといって女を抜け出したいわけでもない状態で、ここまで来てしまったのだ。

結局、女として生きたくてもがいていただけ

各ケースを振り返って、この想いは結局何なのか、が見えてきた。

私は本当は、女として生きたいのだ。

でも、学生時代から恥ずかしい想いをすることが多かった。それで、私は「女として」生きるのが難しい・大変と感じていたのだ。

だから、性別的に女より比較的自由な男が、羨ましかった。

私は私なりの性を、全開できていないだけだったのだ。


こう考えると、これまで綴った各ケースも理解ができる。

ケース①【からかい】
私が女だと、からかわれるらしい。みじめな想いをするらしい。
→そもそも、仲良くない人たちの言葉を受け取らなくても、よかったのでは。

ケース②【男に間違われる問題】
別に男になりたいわけではないから、男と言われるのはイヤだったんだ。

ケース③【何気ない言葉】
私の女性性のイメージの幼稚さからくるものだろう。というか、いい加減忘れろという部分。

ケース④【年齢】
若さと勢いを理由に目を逸らしていた「女性である意味」。年を重ねて、直視しなくてはならなくなった。苦しいのは、30代、40代の自分をどう生きたいかが明確ではないから。


色んな出来事を振り返って、よくわかった。

男が羨ましい、という気持ちの奥には、女を生きていたい私が、きちんと存在していたのだ。ごめん。今まで気がつかなかった。

羨望だとか、嫉妬だとか感情が動く度に、私の中の女は、ちゃんと声を挙げてくれていたのだ。

それをわからなかった私は、ただ『いいなぁ』とか『ムカつく』とかで、スルーし続けていたのだ。

 

これが明確になった以上、これからの私のテーマは決まった。

もういい加減、次の感覚へ行く時期なのである。さようなら。

この記事を書いた人
ちゅる

北海道の30代女性。

周りの評価欲しさに仕事を頑張ったら、心身が壊れて20代が強制終了。

強制終了の原因は自分だと気づいたので、思考や心の話から趣味に関する情報まで発信中。

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とにかき。―とにかく何かに書きたいのです。

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