【近況報告】首痛と発熱でヤバいです(6.19)

ごはん抜きとか家から追い出すとか。~された側の回顧録。

体験談生活
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『血の轍』という漫画があります。母子の歪んだ関係性をテーマとしたサスペンスです。この作品内に、母が息子を引っ張り、無理やり家から追い出す場面がありました。多分六巻。

その追い出そうとする・される描写がもう、非常にリアルで……昔のことを思い出しちゃいました。20年以上前の話なのに、見た瞬間、お腹がぎゅうっと萎縮した。

追い出される理由は違えど、よく似た経験があります。

それ以降、たまに思い出しています。自分たちにも非があったとはいえ、心のどこかで納得していないままなのでしょう。

なので、短い動画のような断片的な場面映像の記憶が中心ではあるけれど、あの記憶を書き留めておこうと思った。

私には親になった経験がまだありませんが、こういうしつけを受けてこういう性格だった子供が、親をどういう目で見るようになったか――というケースの一例としてご覧ください。

また「私も似たようなことされてた!」という方は、あの時のモヤモヤがあれば一緒に解消できたらいいなと思います。

しつけの実例

基本的に私達が受けた“しつけ”はこんな感じでした。

  • お尻ぺんぺん
  • ごはん抜き
  • 家から追い出される(玄関に座る)

他には「げんこつで頭を殴られる」もあったけど、その記憶が殆ど無いため省略。

いずれも、母判断によるものだろう。時々父が実行することもあったけど、父はしつけへの関心は薄く、家庭内のことは“母に言われてやる”人でしたから。

現在、これらが叱る方法としてどの程度よく使われるかは知りませんが、少なくとも『やりすぎ』『虐待では』とも言われますね。ま、今よりは“よくあること”だったのでしょう。


では、具体的にどんな内容なのか紹介します。

お尻ぺんぺん

※Googleに怒られたくないので「ぺんぺん」表記とします。

これは我が家の場合『お尻たたくよ!出しなさい!』みたいなことを言われると始まりでした。母が叩くときもあれば、父が叩くときも。文字にすると恥ずかしい……。

また、そのまま叩かれる時もあれば、ズボンとパンツを少し下げ、守る布が無い状態で叩かれることもありました。おそらく、直のほうが痛い(=より反省させる?)からでしょう。何にしても、直だと精神的ダメージも発生するのは確かです。これ女子としては屈辱だと思うんだ…。

この方法は叩かれ次第終了(なくなり次第終了みたいな)なので、下のふたつとは違い短時間で済んでました。

ごはん抜き

言葉の通り、食事なしです。ただ用意はされているので、後から食べられる場合が多かったと記憶しています。ごはん抜きではなくごはん保留ですかね。

これはですね…ごはん抜きコース+家から追い出されるコースのコンボが来る時があってね…。

家から追い出される(玄関に座る)

これも言葉の通りで、家の外に出されます。出されるのは一瞬。狭い家だったので、居間から玄関までスグ。長時間の放置はされませんが、いつ家に入れるかは母次第でした。

この追い出し系、家庭によってはベランダ等のケースもあるようですが、我が家は玄関先でした。ドアを閉められ、カギをかけられます。こうなった後は、近くに座って家に入れてくれるまで待ちます。

小学生だし、靴は履いてなかったりするし、ほとぼりが冷めるまでどこかへ行く…という選択肢はありません。

「玄関先に(短時間とはいえ)放置」…。近所の目があるご家庭ではやらない・できないでしょうが、当時の我が家は色んな状況が重なっていて、玄関先に子供を置いといても他者に見られるリスクほぼゼロ!でした。ごはん抜きが発生する時間帯に人が通ることって、滅多に無かったんですよね。


母は当時をこう回顧します。

だってあんた達…ほんっとに言うこと聞かなかったんだもん

この時、弟が小学校低学年で。まぁ~家でもはしゃぎたい盛り。よくじゃれてたのね。そりゃ~、せっまい家でぎゃあぎゃあ遊ばれると鬱陶しいわ。記憶が薄い私でも、騒いでドアを叩いた際に擦りガラスを割った覚えがある位だし…。

当時の母は“自分の想定通りに物事を済ませたい”傾向が強い人だったため(子供に対しては誰でもある程度起こる感覚だと思いますが)、こんな感じだったのかな~と。

  • 自分の想定を超えた行動をされる
  • イライラする
  • 注意する
  • 聞かない
  • ペナルティで大人しく(反省)させる

本人には聞けてないけど…色々怒ってみたなかで、大人しくさせる方法として残ったのが、これらの手段だったのかもしれません。

何がツラかったか?

弟と当時の話をしたことが無いので、弟視点はわかりませんが、私は特に「ごはん抜き」「追い出される」がツラかったかな。

超泣き虫だったので、大体、泣きとごはんが一緒でした。泣いた後に食べる(或いは泣きながら食べる)ってのが、なんか子供ながらに惨めでさ…。

横に座っている母もまだ怖い顔だから、罪悪感だとか情けなさとか、色んな感情を抱えながら食するワケよ…。

あと、されたコトそのものというより、「自分の身体を押して、家の外に出そうという強い意思を示す目の前の存在」が怖い―ってのもある。

相撲で例えると、押し出しみたいな体勢で追い出されるのだけど『え、そんなに何としてでも私たちを家の外に出したいの…?』という恐怖感かな。

押し出されるイメージ(イラストAC・作者フリーカットさん)

抵抗しても最終的には(母の気が済むまで)家から出されるしかないからね。イヤだから一応は抵抗するけど…空しくなるよ。

親への印象は変わるのか

変わらない子も居るでしょうが、私は変わった派ですね。子供の性格・傾向によってかなり違ってくる部分です。

父への印象はこの件があっても無くても変わりません。物事の判断の中心は母だったので。母に対しては、少なくても母の表情や顔つきを気にするようになったかな。

  • お母さんは怒ってないかな?
  • お母さんの顔つきは問題ないかな?

というのも、小学生時代の私は、クラスメート等からの“いじり”(たまに軽いいじめ)を受けがちで、毎日のように学校で泣いてたのね。

当時は学校は体調不良以外休めないと思ってたから、どうしても行きたくない日は、母に『学校行くと泣かされる、今日は休みたい』と訴えていました。

でもダメだったんだよね。返ってくる言葉は大体「いいから行きなさい」。私の抵抗度によっては語尾に「!」「!!」がつきました。

つまり、母の中の許容ラインを超えた私の言動は、怒りやごはん抜き、家から追い出すなどで押し込められる傾向にあった。

当時は自分の意思や選択を貫く性格ではなかったため、いつも私が折れたり我慢することで、言い争いは終わらせる――そうしているうちに、すっかり母の様子を気にする子供になりました。


この「母の様子を気にする」という傾向は、基本的に良い傾向ではないと個人的には考えています。短期間の感覚なら別ですが、長引くと相手の様子を見て自分の行動を決めるようになりやすい。

ただ、この感覚が定着したのには理由があって、改めて振り返るとこんなことを感じてたんだと思います。

  • 私たちは大切ではないのか?
  • 自分の気持ち・行動を受け入れてもらえない
    … 母には逆らえない
    … 私は母には勝てない

これらの感覚は、以降に起きた様々な出来事により、私の中で“確実な価値観”となっていきました。そして、最終的にはこんな思いに繋がったのだと考えています。

  • 自分は大したことのない存在だ
  • 母に対する、そして自分に対する無力感

母という存在が大きくなればなるほど、母に対する無力感も大きくなり、同時に自分自身への無力感も強固なものになっていったのだと思います。


勿論、当時はこんな感覚に繋がるとは思ってません。だって小学生だし。ですが、当時はまだ「点」だった人生を「線」として見ることが出来る現在、振り返ると見えてきた感覚ではあります。出来事って、後になってわかる別視点も多いですね。


そんな大袈裟な…と感じる方も居るでしょう。

自己評価や価値観って、親からの影響がとても大きい。だから、こういった小さな出来事の積み重ねでも作られていくのだと思います。

私は自分の経験で、そう感じました。

“すれ違う”から、しつけは難しい

私は、子供を怒ったり叱ったりしてはいけない!子供の恐怖心をあおるのは良くない!と主張したいわけではありません。むしろ、子供に色んな感覚を芽生えさせるためには必要なアクションだと考えています。

母も「母親」の役割をするのが初めてです。子供を大人しくさせたり、ダメだとわからせるための手段であって、それ以上の理由は無かったこともわかります。

ただ、そのアクションの仕方によっては、子供が持った感覚がそのまま放置されてしまうケースがある。それが自己評価の低さや、過度な自己否定に繋がっていくこともある。

親と子の思いにすれ違いが起きている状況ですね。じゃあ、どうしたら良かったんだろう。

当時を振り返って感じるのが、ごはんの許可が出たり、家の中に戻された後のコミュニケーションが薄かったなという感覚ですね。

外に出したのは、お母さんはこうしてほしかったから、あなたたちをこうしたんだよ。みたいなね。強制的に大人しくさせたとしても、その後のフォローがあれば、同じしつけであっても子供の受け取り方が変わってくると思います。

あとがき

これ書いてたらムカムカしてきたので、振り返る意味はあったっぽいです。

過ぎた出来事とわかっていても、当時の母の状況を理解しているつもりでも、納得できない言動はやっぱり、納得できませんね。

当たり前の話ですが、過去は変わりません。基本的に。だからこうやって、当時の記憶を整理したり発信したり、ネタにしたりと自分なりの消化をしながら、未来の自分に活かしていくのが一番のクスリなのかもね。

…なんて思ったりしながら、一旦、記憶の整理を終わります。

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