『血の轍』という漫画があります。母子の歪んだ関係性を描くサスペンスです。細密な作画と作品テーマがマッチしていてゾクゾクするよ。
この作品内に、母が息子を引っ張り、無理やり家から追い出す場面(多分六巻)があります。
その追い出そうとする・される描写がもう、非常にリアルで………リアルすぎて、出ちゃったよね。読んだら。
子供の頃の記憶が出たわ。
同じことされたぜ───!!
20年以上前の話なのに、お腹がぎゅうっと萎縮した。
追い出される理由は違うけど、とにかく「これとこれをやられた!」ってことは覚えている。
なので、短い動画のような断片的な記憶だけど、あの記憶を書き留めておこうと思った。
私は親になった経験がありません。なれないと今は思います。だから、親の実行する気持ちまでは共感しないでしょう。
でも、受けた側の気持ちはわかる。
しつけを通して親にどういう感覚を持つか――個人の例としてご覧ください。
また『私も似たようなことされてた!憤怒!』という方は、あの時のモヤモヤを一緒に解消できたらいいなと思います。
しつけの実例
私と弟が受けた“しつけ”は、こんな感じでした。
「お尻ぺんぺん」のみ父からも受けましたが、あとは母。家庭内は母が支配していたから。
母が『ご飯抜き!』って怒鳴ったら、もうダメなんす。独裁政権よ。
父は家庭内のことは、母に丸投げ。しつけも、母に指示されたからやる人。自分の意見なんかない。
でも、こんな父だから母は「気持ちひとつ」で子供を好きに扱えたの。
母も父の非協力的な姿勢を嘆いていましたが、本心では自分の考えだけで子育てしたかったのでは。
じゃないとあそこまで子供の反応無視しないわ。

何もしたくない父と、自分の考えだけで子育てしたい母。見事に目的が一致したのね。
では、具体的にどんな内容か紹介。
お尻ぺんぺん

※Googleに怒られたくないので「ぺんぺん」表記ですが、要は叩かれます。
母の『お尻たたくよ!出しなさい!』から始まる、恥ずかしさ満載のしつけ。ただし実行される時間は短い。
弟のほうが多かったかな。
そのまま叩かれる時もあれば、ズボンとパンツを少し下げ、守る布が無い状態で叩かれることも。直のほうが痛い(=より反省させる)から。
直は精神的ダメージも発生します。これ、女子としては屈辱だと思う。
よく言われることですが、このしつけは怪我のリスクが低い。その代わり、恥ずかしさがついてくるけど。
この方法は叩かれ次第終了(なくなり次第終了みたいな)なので、叩かれるまでがスムーズであれば短時間で済みました。
通り雨みたいな感じですかね。
ごはん抜き
食事なし。ただ用意はされている場合が多く、大体は後から食べられたと記憶。ごはん抜きというか、ごはん保留。「泣きながら食べる」オプション付。
このしつけで印象的なのは、食事にありつけた際の気まずさ。
情けなかったなー。まだ若干怒った顔の母に目の前で睨まれながら食べるんだぜ?小学生だぜ?
食事じゃなくて作業だよ、作業。嫌いな食べ物食べるまでひとり給食の時間続ける生徒じゃないんだから。
超泣き虫だったので、私は大体「泣き」と「いただきます」が一緒。泣きながら食べる(泣いた後に食べる)ってのが、子供ながらに惨めでさ…。
情けないなら悲しいやら怖いやら、ご飯より気持ちのほうが品数豊富だよ!
これはなぁ~「ごはん抜き」コース+「家から追い出される」コースのコンボになる時があってね…。
家から追い出される(玄関前待機)
居間から身体を押されて押されて玄関に出されます。ガチャッと中から鍵がかかれば、完了。再び鍵の音がするのはいつか──母の気持ちひとつ。気分次第で責めないで。
狭い家だから、玄関まであっという間でさ。どんなに抵抗してもムダ。スグにペッと出されたよ。
こうなったら、玄関前に座るなどで鍵が開くのを待ちます。長時間の放置はされませんが、いつ家に入れるかは母次第。
あえて隠れて「玄関を開けても何処にも子供がいない…どうしよう…」というサプライズ反撃もできたかな~と思いますが、まあ、更に怒られて終わりだったでしょうね。

短時間とはいえ、玄関先に放置──…さすがに虐待では?
という話になりますが、当時の我が家の住環境だからやれたのだと考えています。素敵なママは真似しないでね!
色んな状況が重なり、子供を玄関前に置いても事故・事件に巻き込まれるリスクがほぼなかった。そういう環境だから、母はしつけのひとつに採用したんだと思います。

知らない人が通りやすかった環境であれば、やらなかったでしょう(そう思いたい…)
これ、精神的にも物理的にも一番しんどかったかな。
追い出そうとする母の力
物凄く鮮明に覚えています。
娘・息子の身体を押して押して押して、外に出すという強い意思を示す目の前の母──が、恐ろしかった。

相撲で例えると、押し出しみたいな体勢で追い出されてさ。
『え、そんなに何がなんでも子供を外に出したいの…?』みたいな。
「追い出される」そのものがショック
単純に「追い出される」という事実が普通にショックです。しつけだと、一時的なものだとわかっていても。
身体ひとつで追い出されて、小学生が何かできるわけないじゃない。靴だって履いてない、玄関叩いてもダメ、無理やり家に戻る手段もない──。
ひたすら親を待つしかない。その状況がキツイ。孤独感もそうだし、母に抵抗してもダメなんだという「諦め」の感覚も芽生える。
このしつけに関しては、母と娘の間で記憶にすれ違いが生じています。
母は「夕方とか、人が通る間しかやらなかった」と。しかし私は誰かに見られたという記憶がなく、夜も追い出された印象がある。赤いランプが暗い玄関前で光っていた記憶があるんだよなぁ…。
どちらがより当時に近いのかは、もうわかりませんがね。
親への印象はどう変わるか
子供の性格・傾向によってかなり違ってくる部分ですね。
変わらない子も居るでしょうが、私は変わった派。
母の表情を気にする
私が悪いとか関係なく、母の基準に触れると何かされる──という感覚みたいなものは、あった。
だから母の表情や声のトーンなんかは、よく気にしていた。
というのも、時系列はあやふやなんだけど、小学生時代は同級生男子A・B等からの“いじり”を受けがちで、学校がしんどかった。
母に『学校行くと泣かされる、今日は休みたい』と訴えた。ダメだった。
「いいから行きなさい」。
どんな理由があっても、私がどうなるかは母次第。
マイペースでのんびりしていた(らしい)私は、この繰り返しで『お母さんが怒るんだから、きっと私の考えがダメなんだ』と感じるようになった。
その感覚が進んでしまい、結果的に自分に自信が持てなくなっていった。
この「母の表情(様子)を気にする」傾向は一時的な感覚なら別ですが、長引くと「相手を見て自分の行動を決める性格」になりやすい。
そうすると、気持ちを抑えてしまう。自己主張がしにくくなる。家族が気づかないうちに子供は溜め込んでしまうことも、あるかと思います。
母への無力感
自分の気持ち・行動が受け入れられてない感じ
▼▼
母には何を言ってもダメだな、伝わらないな、母には勝てないな
▼▼
母への無力感と、母に伝えられない自分自身への無力感
自分の訴えが母に伝わらない=母への無力感。同時に、自分は母にも伝えられないという己への無力感。
勿論、しつけを受けた当時はこのように明確には意識していません。
大人になって自分の性格や価値観を振り返る時に『ああ、私の○○な部分は、ここで芽生えているのかも…』と、やっと掴めた感じです。
しつけの理由を聞いたんだが、泣いてもいいですか
記事をアップした少し後。たまたま、母からしつけを行った理由や背景を聞くことができました。
……あの、泣いてもいいっすか。
いや、ショックでした。いやもう『その考えいい加減にして』と怒鳴りたくなった。20年遅いけどさ…。
「しつけ」をした理由は?
よく息子(弟)が悪いことしてたからねー。ウソつくし、帰ってくる時間とか平気で守らなかったりね。
──そうだっけか。まあ、小学校低学年とかだったしね。弟と騒いでドアを叩いて、擦りガラスを割った覚えがあるわ~。
あんた(私)はあまり悪いことしなかったね。
──ん?じゃあ、どうしてしつけられたんだろ。
弟をしつけするから、二人まとめてだったんだと思う。
──…連帯責任ってこと?
そうだね。
──………。
(※本当にあったやり取りです)
疑問ではあった。弟とは違いアクティブではなく、約束も守ろうとする私。そこまで母を怒らせる言動はしない子供のはずだ。
でも何故、しつけの記憶が色々あるんだろうと。
なるほどね。ムダにしつけ受けてたのね、ムダに傷ついてたのね。
いやそれ、しつけじゃないじゃん。何だ?嫌がらせ??
「しつけ」をやめたのは何故?
初耳でしたが、私がキッカケだった。
私の身にある出来事(詳しくは省略)が起こったのですが、これにより母は「しつけはまだ必要なのか?」と考え、結局やめたそうです。
「しつけ」の方法はどうやって選んだ?
…そういうしつけの時代だった。
──時代とかじゃなくてさ…
されてたんだよ。
──え?お母さんがされてたってこと?されたことをそのまま子供にしてたんだ。
…。
私たちがされたしつけは、全部「母がされてきたこと」らしい。
何か意図があってあのしつけだった訳では、なかった。唖然とした。
理由があると思っていた。連帯責任のはずの私の抵抗も完全無視する位だもの。何か理由がある…と思うじゃん。
そして『お母さんだって変わらないじゃん!!』という“呆れ”が沸いた。
何と変わらないの?──普段母が見下していることと。
いつかの選挙前。どこかのニュース番組が「若者」へインタビューをしていた。
ある男子大学生のコメントが流れた。
政治とかよくわかんないんで、選挙には行かないと思います
若者カテゴリ関係なく、よくある回答のひとつだ。
母はこの、なんてことない回答に何か言って3回ほど「頭悪いよね」という言葉を使った。
…政治に関心がないだけで、どうしてそう決めつけるのか。
彼らは、親や周囲がその話をしなければ触れる機会も少ない年代だろう。それは「頭悪い」のか?
──ああそうか。母にとって、政治や社会問題への関心の高さは“自信がある部分”なんだ。
だから、関心の低い層は自信持って見下しちゃうのか…?
もう忘れてるだろうが、あの時の彼を見下す資格ないよ、お母さん。自分で考えず散々好きにしつけした貴女がさ。
「そういう時代だったんだよ」「ああいうしつけを受けた」──そんな理由で、またバリアを作ってるけどさ。
ひと言があれば
何故、娘を連帯責任とした?何故、しつけが終わった後に何も説明しない?
子供の気持ちを考えなかったからでしょ?
息子を反省させたい。しつけだ。二人まとめてやろう。よし、完了。しばらくしたら声かけるか。
入っていいよ。お母さん怒ってるんだからね。ふん。食べなさい。
母の子育ての傾向。
自分の考えを子供たち(特に娘)に「怒り」で押し付けた。ここが問題で、その考えについて子供への説明がなかったのだ。怒って終わり。
だから私は混乱した。母の考えがわかっていないから、怒る意味もわからない。
理不尽な出来事について考え抜いた。私なりに分析して、母に聞いて聞いて聞いて──やっと「母には自分の基準があり、それを説明しないまま子供にも同じ基準を使っていた」とわかった。
だから私は『お母さんは、私の気持ちを見ちゃいないんだ』って、ずっと感じていたんだろうね。
逆に、私が昔の出来事をほじくらなければ、母は「あの時の考えの説明が必要なのか」とすら思わないままだったんだね…。
“目線が違う”から難しい
私は、しつけ自体は賛成派です。子供に色んな感覚を芽生えさせるためには、ネガティブと思われる感情のアクションも必要ですよね。
ただ、我が家のように「しつけして終わり」「怒って終わり」は、やはり子供が受けとめきれない可能性があると考えます。
理不尽な出来事として溜まってしまう。それが強化されると、自己評価の低さ、親への不信感や恐れ、愛情を感じられない──などに繋がるのだろう。
しつけは、子供を大人しくさせたりダメだと理解させるための手段で、それ以上の理由はない。わかります。
なら、そこまで説明してほしい。子供に余計な思い込みができないように。
当時を振り返って感じるのが、このような「しつけ後の“言葉の”コミュニケーション」がお互いに足りなかったという感覚。
外に出したのは、あなたたちはこうで、お母さんはこうしたかったからだよ。◯◯だからじゃないよ──みたいなね。
母は聞いても答えなかったりするので、私のほうがもっと自分の気持ちや考えを伝える工夫を出来ればよかったと思います。
あとがき
なんか疲れましたね。母のしつけ観と私の記憶に温度差がありすぎて、泣きたくなりました。
私の削った自己評価と苦しんできた疲労感をぶつけてやりたい。
ただ、大きな収穫も。
話していて感じたのは、母は考えの前提に〔自分は間違っていない〕という感覚が強くあるんですね。
それに気づいたら、色々納得できた。
昔の出来事について質問すると、否定されたり私が原因だという反応ばかり返ってくるのは、この感覚が理由だったのかー!
この「しつけの話」も、聞くたびに母の答えが微妙に違って。何度目かで、やっと軸に辿り着けた。
これからは正々堂々と、母を怒って恨もうと思います。消化できるまで。
母がそういう前提なのだから、私も母のせいにしながら「未消化の想い」を何とかしますよ。
子供がいたら気持ちの整理の仕方も全然違うんでしょうね。へへ。私はこうやって、分析と発見を文字化発信したり、ネタにするしかないけども。
自分なりの消化をしながら、未来の自分に活かしていくのが一番のクスリなのかもね。
…なんて思ったりしながら、一旦、記憶の整理を終わります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。