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内容リニューアル。イイ感じのタイトルが浮かばないので、ひとまずこれで(21.01.12)
いつでもどこでもネットの中と繋がれる現代。気付かぬうちにスマホを触るクセが抜けなくなった方も、多いかと思われます。
私自身、ネットサーフィンは“ガラケー”を使っていた時から辞めたい習慣でした。が、なっかなか辞められなかった。最初に辞めたいと思ってからマジで何年経ってるんだか…。
睡眠時間を犠牲にした、なんて夜は数えきれません。どれだけの時間を費やしたのか、計算したくもない。
そこで『どうして、ここまでネットサーフィンを辞められなかったのか?』を、気持ち・感情面から掘り下げてみました。
ネットサーフィンをSNSなどに置き換えても応用可能な内容だと思います。読んだ方のモヤモヤが軽くなれば、幸いです。
実際に辞める方法は別記事にまとめました。まず辞めたい方は、以下の記事をどうぞ。
そもそも、ネットサーフィンとは?
この話題をまとめる前に、まず言葉について確認します。
ネットサーフィン―ここでは「目的がないままインターネットに長時間費やすこと」としています。例えば、まとめブログをハシゴする、買い物予定がないのに色んな商品を眺める…みたいなイメージです。
自分がネットサーフィンをしているのかわからない場合は、サイト閲覧などに目的があるかどうかを考えると、わかると思いますよ。
やめられなかったココロの理由
元々、情報そのもの、ネットという行為そのものが好きだったので、好きだから仕方ないか…と諦めていた時期がありました。
しかし、本当に「好き」という理由だけなのか?という疑問も、同時にあった。
その結果、他の理由も見えてきたので、以下にまとめます。
理由1:ぼーっとする時間が苦手

例えば、公園のベンチで空を見上げて、ボヤっとする。自室のベッドで天井を見つめ、ひたすら無になる…
「空き時間はぼーっとする」なんて人がいます。
私はこれが苦手です。何もせずに過ごす…っていう時間が、まず作れない。何でもいいから手や頭を動かしていたいタイプ。何かしていたいんですよ。
この気持ちの奥には、何があったのだろうか。
要は、“ない”ことへの不安や罪悪感が隠れているのでは?
「ぼーっとする自分」
「何もしない自分」
「誰かや何かと繋がっていない自分」
こういう自分はダメだと思っているし、こういう自分でもいいよ、って思えないんですね。
この価値観が頭にあると、日々の行動やスキマ時間で「何もしない」選択をしにくくなります。結果、何かしていたい=手軽なスマホやインターネットになりがち。
本当はぼーっとしたいのに、ついスマホをしてしまう―…そこには「ぼーっとしている自分」を許していない自分が、いるのかもしれませんね。
理由2:手軽な刺激が手に入る
最初は、情報を追いかけたいのかな?と感じてたんです。情報好きだし。でも、単純に「情報目的」であれば、別に新聞や本でもいいんだよね。
どうして、ネットが良かったんだろう?
新聞や本になくて、ネットにあるもの―「制限」と「刺激」です。
新聞や本は情報量が限られており、刺激的な内容もそれほど多くありません。ネットは、環境さえあれば、欲しい情報が好きなだけ得られる。しかも、新聞や本と違って、向こうから来てくれる。毎分毎秒、新しい投稿が更新されるからね。
つまり…
情報を得たい、知的好奇心を満たしたい…なんて話ではなく、ただ単に「刺激」が得られるからハマっていただけなんだね…とほほ。
理由3:寂しい

あーー、私って寂しかったんだなあと、過去の自分を振り返るとよくわかる。寂しさを紛らわすため、或いは実感しないために、ネットに漬かっていた。個人的にはこの理由が一番大きかったと感じています。
なんだか寂しい。誰かと一緒に楽しみたい。過ごしたい。――でも、今この瞬間はそれが、できない。
そう、できなくっても、ネットは常に一緒に居てくれる。誰も近くに居なくても、過ごせなくても、同じ瞬間を共有できるツールは常にある。
なんとなくわかってはいたけど、わかりたくなくて誤魔化してたんだ。
テレビの実況が盛んなのも、ウェブ漫画のコメント欄が開放されるのも、日常のちょっとしたつぶやきでも、繋がりを求める人が多いからだと私は考えています。
小さな「寂しい」から大きな「寂しい」まで、ひとりひとりを繋げてくれるのがネット。時には、そんな寂しさから熱中してしまうのかもしれませんね。
理由4:他者・社会と繋がりたい

前項では「寂しい」を理由に挙げました。寂しさが個人の感覚だとすると、繋がりたい気持ちは“本能”と言えるのではないでしょうか。
この「他者・社会と繋がりたい」気持ち、解説するのにピッタリな理論がありましたので、ネットサーフィンとは少々話がズレる部分もありますが、紹介します。
『マズローの欲求5段階説』という理論があります。
簡単に言うと、人間の欲求はピラミッドのように構成され、低い段階の欲求が満たされるとより高い段階を欲していくという話。自己実現理論とも呼ばれています。
この理論にインターネット(スマホ)を当てはめると、わかりやすいんですよ!情報=知識や得なもの、いいね・フォロワー数=他者からの承認として捉えてみると、欲求を満たしやすい世界になってるんですよ。ネットって。
例えば、自分に有益な情報を探し続けている状況であれば、今の状態じゃ良くない=第2段階:安全欲求への不安・焦りがあり、有益な情報を得ることによって自分をより良い方向に変化させたいのかもしれません。
安全欲求
安心・安全に暮らしたい、などという欲求
また、様々なコミュニティを探したり関わろうとするのは、自分も誰か・何かと交流を持ちたい=第3段階・社会的欲求と考えられます。興味を持って関わったら、誰だって歓迎されたいですもんね。
社会的欲求
友人、家庭、会社など、自分の周りの社会に受け入れられたい欲求
そして、さあ来ました、近年よく使われる言葉。「いいね・フォロワー稼ぎ」から「自分アピール」まで理由は様々ですが、ビジネス目的以外で共通しているのは、もっとor沢山見られたい(=尊敬・注目・評価されたい)=第4段階・承認欲求と考えられます。
承認欲求(尊重欲求)
他者から尊敬されたい・認められたいなどと願う欲求
この承認欲求は、投稿目的としては否定的な見解によく使われます。ですが『マズローの欲求5段階説』から見ると、人間がそもそも持っている欲求であって、バカにできるようなものではないことがわかります。
まぁ、第4段階とは言うけれど、第2~第3段階をすっ飛ばしてここを求めているケースも多いでしょうが…。
つまり、ネットで積極的にやっている行動は、人間が持っている自然な欲求が変換されて表現されやすい――と言えるのではないでしょうか。
これらの欲求を満たしたり目的を達成する方法が、例えばモラルが問われる行動や、正しくない・適切ではない方法だから批判されるのです。
“マズロー”的に掘り下げていくと、人がネットから離れにくい理由がよくわかるな!という話でした。
これを書いている私自身も、社会的欲求~承認欲求(尊重欲求)を満たしたくて、依存状態になったことがありました。
私の携帯デビューはガラケー(※二つ折りタイプの携帯電話)。今は通信費=定額が当たり前ですが、以前は通信量を使った分だけ請求される時代でした。恐ろしいでしょ。恐ろしかったよ…。

案の定、当時主流だった掲示板などにドハマリし「パケ死※」を繰り返すことに。今思い返しても本当に情けないし恥ずかしい。

※パケ死とは?
高額料金が請求された時によく使っていました。今は聞かないね
あの頃は写メ(笑)の画質も悪く、投稿情報も古すぎて今探しても見つからないでしょう。ガラケー時代に黒歴史を作っといてよかったと、心から感じます。

今は画質も良く、簡単に保存・拡散できる。デジタル黒歴史が残りやすい時代だよね
それ程までハマッた理由が、今だとよくわかる。新しい刺激に加えて、誰かと繋がりたかった、誰かに自分の存在を見て欲しかったのが大きかった。
マズローで言うと、強い社会的欲求があったんだな。
当時の日常生活を思い出すと、社会人なりたてで仕事に緊張があるなか、女性従業員たちの輪に入れなかった。彼女らは私よりずっと年上というのもあったけど、そもそも合わなかった。
だから休憩時間はネットに逃げた。近いけど関わりにくい人と繋がるより、遠くても関わりやすい人のほうが都合が良いから。
現実で社会的欲求を満たそうとするより、ネットに逃げるほうが近道だったのです。
みんな理由があって、やめられないだけ
ネットサーフィンをやめられない理由は、これまで挙げたように人それぞれの理由があります。ですが、その背景には人間が持つ基本的な欲求・感情が深く関係しているケースも多いのではないでしょうか。
それらが現実の生活で満たされていない場合に、ネットの存在はもの凄く手軽で、かつ簡単に埋められるツールなんですよね。時には素性を隠しながら満たすことも可能で。
だからあっという間にハマれるし、抜け出しにくい。
ネガティブな印象を持ちがちなネットサーフィンも、背景をひとつひとつ見ていくと、何にもおかしなことではない―と、ちょっと安心できますよね。
やめられない!という悩みは、表面上の問題でしかなかったのだから。