髪と人生って似てるな!という話を書きます。
クセやうねり、毛量を抱える女が憧れる「さらさらストレートヘア」。私もその1人で、それとは対極にあるゴワゴワうねりヘアの持ち主です。
なので、とにかくストレートヘアへの執着がすごかった。
特に学生時代は、当時人気だった安室ちゃんが一時期やっていた「シャギー(毛先をすくカット方法)」もあり、ストレートヘアへの憧れが色あせなかった。
でも、憧れても太髪は細くならず、ストレートパーマをかけても大したストレートは得られずだった。縮毛矯正は高くて手が出せなかったから、毎朝、アイロンとケープばっかりしていた。
それでも、髪質が違うのだから諦めよう。とはならなかった。ストレートが正義で、その正義が自分にも欲しくて、だから執着した。
周りの女子たちの髪がさらさらであればあるほど、同じ女なのにこうも生える質が違うのか、とモヤモヤした。
そんなある日、妥協で通っていた美容室で視点が揺れた。
それまでは「ストレートにしやすいカットで!」と毎回注文していたが、ある日担当した美容師から
『いや~すごくいいクセ毛ですよ』
『このクセを活かした方が髪にもいいですし』
と言われた。
まぁ、(無理矢理ストレートにするよりは)という、見えないひと言があったのかもしれない。それでも、選択肢を増やすきっかけには充分だった。
すぐさまパーマを当てた。チョロいな。
ストレートヘア実現を諦めたその髪型は、周りから大好評でしたとさ。
何が言いたいか。
自分が欲しがっている「型」と、自分に必要な「型」はイコールではなかったりする。
欲しくて仕方のないものでも、それは確実に自分の魅力や能力をサポートしたり、人生のプラスになるとは、限らないのだ。
ストレートに憧れるクセ毛女子なら、時間や手間やお金を使ってストレートヘアを作ってもいいし、一歩引いて、クセを活かす髪型の追求に切り換えてもいい。
欲しいという気持ちが先行すると、つい「どうして欲しいのか?」を考えなかったりするけど、本当は、与えられている素材を無視するか活かすかは、自分で選択できるのだ。
今回は「髪」で例えたが、これは人生全般に言える。
もちろん欲しけりゃ手に入るまで頑張る、という選択肢もあるけど、モノによってはすんなり手に入るワケでもないよね。
そんなときどうするか。
選択肢はふたつ。手に入れるまで頑張るか、手にあるモノで頑張るか。
気をつけたいのが、前者「手に入れるまで頑張る」のケース。
一向に手に入らない場合、もがくうちに【自分は手に入れられない】などといった諦めや無力感が、住み着いてしまう。
すると、結果に納得できず、余計に求め、欲しがり、羨望し、焦り、落胆する。
でも、手に入らない。
繰り返すうちに、この感情が怒りや嫉妬に繋がっていく。
そうやって追い続けた結果・・・
・時間や労力を消耗しただけ
・ストレスだらけ
・手にしていない自分を責める
・手にしている人への嫉妬
こんな精神的負担ばかりが増えてしまい、いいことがひとつもない状況に陥る。
そうじゃなくて、手に入らないのなら、元々あるモノに目を向けて良いんだ、ってことですね。
そして、実はそのほうが、思った以上に自分をサポートしてくれたり、過ごしやすかったりするから。
自分が見た自分と、他人が見た自分は、自分が思っているより違うんだ。
だったら、自分フィルターの自分(=自分が良いと思う自分)を信じるのを、やめたっていい。
色んな自分を見つけていこう。
フィルターが外れたぶんだけ、世界は広がっていく。