ここを見てくれたあなたは、自分磨きの真っ最中だったり、興味があって来てくれたと思います。ありがとうございます(前お礼)。
早速ですが質問です。
その自分磨き、必要ですか。
もしかすると、自分は「自分磨き」のつもりでも、実は「自分身欠き=自分削り」になっている可能性があるかも…
という話を、実体験を交えてわかりやすくまとめています。
◆ワンポイント
「身欠き」⇒魚に使われる言葉で、身を欠く(裂く)…つまり引き裂くみたいな感じですが、今回の記事を書く際に私が閃いた造語のようなものですので無視してください。
何のために磨くのか?

「自分磨き」と聞いて思い浮かべるイメージって何でしょう?
見た目・オシャレ・女子力など“外見の向上”を連想する方も多いでしょうし、勉強・資格・趣味などの“内面の向上”を連想する方も居るかと思われます。
どちらでも、仕方なく自分磨きを始めるというよりは、興味を持ったり刺激されて取り組むものですよね。全て、自分をより輝かせるためにです。
…実はここに、分かれ道があります。
なんで自分磨きをしようと思ったのか。
つまり、誰のために?何のために?といった「理由」が影響してくるのです。
AさんとBさんの決定的な違い
綺麗になりたいから外見的な自分磨きをする。とても自然な思いです。なのに、自分磨きに良いも悪いもなくない?という疑問が出てきますよね。
自分磨きに疲れたときは、その思いが問題なのではなく、自分磨きしたい気持ちがどこから来ているのかが問題なのです。
では、具体的にどういうことか?実例を挙げてみます。
AさんとBさんはともに「オシャレを頑張りたい」そうです。その理由を聞いてみましょう。
まずはAさんの回答。

今まであまり気にしなかったから、今からでも洋服を楽しみたいなって思ってんだ~
ふむふむ。Bさんはどうでしょう。

私は地味だからオシャレくらいしないと。って考えてて…
ほうほう。ありがとうございます。
さて、AさんとBさんどちらが「自分磨き」として適切か。Aさんですよね。
Bさんも自分磨きのように見えますが、理由に「私は地味」という自己イメージを絡めています。ここが大きなポイントです。
オシャレを頑張ろうとする行動は同じ。でも、そのきっかけは大きく違う。
このような“自分への決めつけ”が、自分磨きではなく自分削りへ向かってしまう可能性があるのです。
「したい」と「無いからしたい」は違う
Aさんは、楽しみたい想いがあるからオシャレに力を入れたい。
Bさんのオシャレは、自分を補う手段。しかも、自分で自分を地味だと思っていて、それをよくないことだと評価している。
ここです。自分の存在価値まで巻き込んでいるかどうか。
同じ「~したい」でも、その裏に「無いから、したい」という思いがないか?
気持ちだけで行動するのか、何かが足りないという自己イメージがあって、それを補うための行動なのかで、自分磨きの大変さが全然違うのです。
もちろん、後者だと自分磨きがしんどくなってきます。
自分磨きに疲れたら、何のために自分磨きするのかを振り返ると気付きがあるかもね!
自分削りになった体験談

中の人の体験を基にもう少し説明したいと思います。「自分磨きしてたら、削れてた」って話。
外見編
元々異性には積極性が欠ける私なんですが、モテたくて仕方なかった時期がありました。でも、気持ちとは逆にまぁモテない。だから頑張った。
清楚系・かわいい系は似合わないので、キレイ系に見られるような配慮はしてた。良いニオイもさせてた。外見だけではなく、言葉遣いや気配りも自分なりに気にしていた。
…なんか、頑張っている感じしますよね。その後どうなったか?
見事に成果ゼロでした~~~~~~。
はい次(終わりかよ!)。
内面編
ある会社に勤めていた時。そこでの仕事は自分に合っていたと思ってて、出世したかったんですね。評価されたかった。
ところが、思ったようには評価されない。むしろ同期や後輩のほうが評価されていく。頑張っているはずだし、後輩からの評判も上々(多分…)。不満が募る。
そこで私はどうしたか。
内面の成長が必要なのだと考え、自己啓発や精神論を求める旅に出た。本の中へ。
人生うまくいく方法的なやつを読み漁りました。本で得た知識(人生の苦しみ慣れをするといいとか、もうちょっとだけ今の環境で頑張ろうとか)をモチベーションにして、こんな考えを繰り返した。
「あと一歩。我慢したら報われるかも」
「もう少し頑張れば、変わるかもしれないし」
その結果…
身体から悲鳴があがり、辞めなきゃいけなくなってしまった。
病気が見つかり、精神的にも身体的にも、もう限界。強制終了となりました。
自分削りになった理由

当時の私なりに頑張った自分磨きでしたが、今思うと、結果が出なかった理由がよくわかります。細かいことを挙げるとキリがないので、明らかなズレをまとめます。
結局、自分で自分に制限をかけていた
モテに「見た目が良い」「女性らしい」は必要不可欠じゃないし、社会的評価を得るために、精神性の高さは関係ない。
『モテるなら女らしくないと』
『優しい人、いい人でいないと』
『精神性が高くなれば、起きる出来事も高くなるはず』
結局、自分が求めていたモテや評価は、これまでの経験から私が「○○ってこうだよね」と思いこんでいただけ。
相手の求める条件を軽視し、自分で何かを得るための条件を勝手につけて、その中で動いていた。
つまり…
私は“そう”じゃないから、そうしよう。これを始まりにしていたのです。
「足さなきゃ、つけなきゃ」
コレ、自分磨きだけでなく人生全般に言えるほどに大きなズレだと思います。
何か足せばうまくいくと思ってる。
足りないから、足さなきゃ――資格や実績など、確かに「必要」な要素はあります。ですが、“勝手に”足りないと判断して行う自分磨きは、かえって足りない所を際立たせる結果となるのかもしれません。
磨くって、本当は楽しいはず

こうやって、良かれと思って始めた自分磨きがうまくいかないと、だんだん自分磨きそのものが億劫になります。
でも、本当は自分磨きって、楽しいはず。
そもそも、大切なものだから磨くのです。丁寧に、確実に。綺麗になったり、かつての輝きが蘇ってきたり、もっと大切にしたくなりますよね。
間違っても、磨いているつもりが削っていて、キズだらけになっていた…なんてことがありませんように。
むしろ、自分磨きはキズが見えにくい分、より丁寧に大切に扱っていかなきゃならない…と思いませんか。
まとめ
自分自身の価値やイメージまで巻き込むと「自分削り」になりやすい?!
もし、自分磨きに疲れたり、苦しさを感じたなら、一度自分自身に問いかけてみてほしい。
「今の自分はダメだから、やらなきゃ」
「自分は○○だから、××しないとダメだ」
その自分磨きは、純粋にやってみたいのか?それとも自分の価値を補うためにやりたいのか?
参考にしてみてくださいね!