自分の人生を歩む絶対条件は、他人より自分を気にすること

他人より自分を気にしよう
ココロの話
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10年ほど前、悩んでいたことがある。

周りを気を遣う私より、周りに気を遣わないあの人の方が幸せそうだ。

周りへの優しさを意識しているのに、なんだか日々疲れる。優しい自分は好きなはずなのに、どうしてだろう。それに好き勝手言っているあの人のほうが、周りにも恵まれている気がする。

もちろん相手の表面的な状況だけで判断しているから、本当にあの人が幸せだったかはわからない。けれど、周りに気を遣わない人が快適な人間関係でいるのは、どうして・・・とモヤモヤを抱えていた。

仕事はそこそこ楽しかったんだけど、同年代の同僚が中心だったので、つい自分と相手を比較してしまうキッカケも多かったし、人間関係で常にストレスを感じていた。

今思うとバカバカしい悩みだ。周りに気を遣って疲れるのは、当たり前の中の当たり前なんだから。

だから、この悩みに対して、今の私が回答するならポイントはふたつ。

周りに気を遣ってもむなしいのは、自分の気持ちを優先していないから

比較に走るのは「自分のあり方」がないから

順番に解説していきます。


自分の気持ちを優先しないから、気を遣ってもむなしい

この項目の例えを考えてたら思い出したので、ちょっと書いておく。

小学生時代、私を含めたクラスメートの女子6人で遊びに行くことになった。仲の良い子だけの計画ではなく、そうでもない子も混じっていた。

遊びに行く数日前に、ある女子(以下A)から言われた。

○○さん(私)って来るの?本当に来るの???

カンの鈍い私でもわかるくらい『アンタには来てほしくないんだけど』の声色だった。

自己主張がそれほど強くなかった私は、Aが繰り返す『来るの?来ないの??』を聞いて、彼女がそんなに私を嫌がってるならと遊び計画への参加を辞退した。違う子に謝られた。

Aはその後、私の学校靴を隠すんだけど、それはまた別の話。

何が言いたいかというと、この時の私は自分の意思より、私のことが気に入らない子の意思を尊重したんですね。

みんなと遊びに行きたいという自分の思いより、アンタは来なくていいというAの思いを優先してしまった。それがますますAの態度を確かなものにしたのかもしれない。

ここで「なんで私の存在を気にするの?言いたいことがあるなら言いな?」くらいは言い返せるメンタルだったら、学校生活はかなり違った日々になったと思う。


自分より他人を気にするということは、自分の気持ちより他人の気持ちを優先するということ。つまり、自分自身が他人を優先したことによって、自分の気持ちを優先してくれる人がいなくなるわけだ。

では、自分の気持ちをすくい上げて言葉や行動で表現してくれる人は、誰になる?

いなくなりますね。

じゃあ、自分の気持ちはどこへ行くのだろうか?

空気を読んでいると精神的にしんどい、居心地が悪い・・・なんて悩みが起きる理由のひとつは、こういった「自分の気持ちを優先してくれる人がいなくなる現象」によって起こる。

当然なんだよね。自分をほっといて、周りや空気ばっかり気にしてるから。

気を遣うことが本当にやりたい行動なら、問題はない。しかしその場合は「気を遣う」なんて表現にはならない。

わざわざそう言ってしまうのなら、そこには、嫌われたくないなどといった、自分より他人を優先したい本音があるのではないか。だから周りの視線を、反応を、状況を気にする。

私が日々疲れていた理由のひとつは、これである。優しくありたいからと周りに意識を向けていたが、本当は、優しい人だと思われたかった。好かれたかった。

まず、そういった思いを抱いている自分に意識を向けるべきだったのだ。

「自分はこうありたい」がないから、比較に走る

そしてふたつめ。自分のあり方を考えてないとどうなるかという話。

対人問題で必要以上に悩んでしまうのは、人間関係において「自分はどういう人でいるか」を想定できないまま「他人」で頭をいっぱいにしているから。

タイムラインで解説
  • Step.1
    自分より他人を優先する

    周りの目が気になる、嫌われたくない、バカにされたくない等、意識しすぎるあまり他人が自分より大きな存在になりがち

  • Step.2
    他人の言動で頭がいっぱいになる

    自分がどうありたいかより、他人の目を気にしているからね

  • Step.3
    自分のことを考える余裕がますますなくなる

    他人の言動に意識をとられて、私はこうありたい・こうしたい等の「自分のあり方」を考えるタイミングを失う

  • Step.4
    人間関係の悩みを解決しにくくなる

    「自分のあり方」があやふやだから、相手の反応にストレスを感じたりと、対人関係の悩みをいつまでも続けてしまう


自分のあり方=自分はこうありたい・こうしたいという意思があれば、わざわざ誰かと比較する機会を少なくできる。同じ道を歩いているとは限らない相手と比較しても、そこから生まれるものは少ないからだ。

そして、自分より他人を気にするタイプは、この部分に「自分の人生を歩む思い」ではなく「自分を守る思い」が強くある。

周りからどう思われているか気になる、嫌われたくない、みんなに好かれたい、失敗して恥をかきたくない・・・。

そんな思いが強いと「自分を守る」が前提になる。だから他人の言動に敏感になり、周りを自分を傷つける敵だと思ってしまう。

もちろん、自分を守る行動は生き物としての本能だ。しかし守るだけでは人生を作れない。ほんの少しだけでも、攻めの意思を持つ必要がある。その攻めが、人生を作っていく。

望まない仮面は外して、もっと自分を気にかけよう

今説明したふたつのポイントは、共通点がある。

自分を守るための仮面をつけているのだ。

何らかの意図があって、望んでつけているなら問題はない。望んでいないのにつけているから

問題が起きる。

仮面は視界が狭まり、周りの状況も見えにくい。そして相手に表情が伝わらない。だから相手は表情が読めない。本当の声もわかりにくい。掴みどころがない。

結果、一緒にいてもなんとなく温度差を感じてしまうばかりで、どこか息苦しさがなくならない。気乗りもしなくなり、関係そのものも続かない。

離れるほうが楽になる。ひとりになれば、仮面をつけなくて済むから。

この仮面に気付けないと、だんだん自分を責めはじめる。こんなに頑張ってるのに人間関係がうまくいかないのは、自分に人間関係を築く価値がないからでは・・・と。

すると、ますます仮面が増えていく。仮面が何重にもなる。「もう失敗したくない」「傷つきたくない」と。

これが、人間関係を頑張ってるのに苦しい理由です。

あ、いつの間にか仮面をつけていたんだと気付くだけでも違う。周りの目が気になる、嫌われたくない、好かれたい、失敗したくない、恥をかきたくない・・・等の、自分を守るための仮面の存在を。


ここでお決まりのひと言を。

仮面の自分でさえ人間関係が苦しいのに、本当の自分なんて見せたらどうなってしまうか・・・

違うんだよ。いや、違ったんだ。

仮面の自分「だから」苦しかったんだよ。

嫌われたくない、好かれたい気持ちが先行して、いつの間にか仮面を使っていたんだ。これなら嫌われないはず、好かれるはず、と。

でも、改めて振り返ってみる。本当はどうだろうか?仮面をつけてでも、みんなに嫌われたくない?好かれたい?失敗したくない?恥をかきたくない?

違うよね。仮面をつけても嫌われたし、好かれないし、失敗したし、恥もかいたよ

じゃあ、もういいじゃん。つけなくて。

仮面でも仮面じゃなくても失敗するなら、呼吸のしやすい、生きやすい「無仮面」のほうが過ごしやすいじゃないか。

 

さあ、これからはどんどん自分を気にかけよう。

この記事を書いた人
ちゅる

食べること・文章を書くことが好き。30代女性。北海道。

周りの評価欲しさに仕事を頑張ったら、心身が壊れて20代が強制終了。

その経験から、頑張っても報われなかったのは「自分の思考」だと気づいた。

現在そんな「失って得た学び」や趣味に関する情報を発信中。

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とにかき。―とにかく何かに書きたいのです。

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