スピリチュアル系文章でよく見かける、アノ表現。
『あなたには、既にあるんだ』『あると思って行動しよう』
私が最初にこの内容と出会ったのはずいぶん前ですが、長い間、これがピンときませんでした。
いや、ないから困ってるんだし。
なんていう否定の気持ちが大きくって、理解できる心より違和感の心のほうがが大きかった。
でも、これまでの知識と経験が繋がった今、こういうことだったのか・・・と解釈できるようになりました。本記事では、その解釈をまとめます。
こんな方に向けて解説したいと思います。
「既にある」が苦しいのは何故か
言葉の通りに「自分は既にあるんだ」と考えるけど、ツラさは変わらない。苦しいから「既にある」を実感したいのに、信じたって現実は変わらない。
そんな感覚になる人も多いと思います。
なぜ苦しいのかと言うと、言葉の解釈が違うから。
思えないのに、納得していないのに、無理にそう思おうとしていませんか。
例えば、お金がない。だから欲しい。そのためには「既にある」説を使おう。お金が既にあると思おうとする。
でもこれ、ないものをあると思ってる状態。違和感が強かったり、ストレスに感じるのも無理のないことです。

既にお金があると唱えてんのに、お金増えないじゃん!どゆこと?!
このように、物質を望んでいる場合は特に「現実化しない」「物質が手元にくる気配がない」という難しさを感じるのではないでしょうか。
言葉をその通り理解しないこと
言葉で「既にある」と言われているのに、現実には「ない」が続く矛盾。苦しいのは当然。
つまり、言葉の意味をそのまま受け取ろうとするから、おかしなことになる。
じゃあ、どう考えたらいいのか?
解釈を変えてみよう
言葉に『価値がある』という一文を足します。すると、こうなります。
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一文付け足すと、よく見えてくる。
「本当は手元にあるよ!」と解釈するのではなく「もう手元にある価値があるよ!」ってことなんです。
重要なのは、今あるという現実より、あるという価値を信じられることなんです。
「ある」と「価値がある」の違い
先に挙げたお金を例にすると、お金が手元にある!といくら信じても、ポンとお金が出てくるわけでも、通帳の数字が変わるわけでもありません。
だから、あると信じることがむなしくなる。どんなに信じたくてもね。
この言葉が伝えたいことって、そうじゃないと思うんです。
あなたには価値があるということを、伝えたい。
価値があるってどういうことか。
今、目に見えるお金や通帳の数字は変わらなくても、それらを変える価値が自分にはあると信じることなんだよ、ということ。
本当は、お金を得る価値があるんだ。お金だけじゃない。健康も、人脈も、あなたがあると思いたいこと全て。
些細な違いですが「価値がある」のひと言があるだけで、違和感の正体も、言葉の本当の意味も見えてくるんですね。
「既にある」と言われる背景とは
言葉の意味が見えたところで、どうしてスピリチュアルで色々な人が『既にある』と発信しているのか?を見ていきます。
私は、世の中の流れの反動ではないかと考えています。
私たちは母親の体内から、何も持たずに産まれてきます。お金も持っていませんし、産んでくれる人がいるわけです。誕生の瞬間にもう『既にある』を経験しています。実は。
それなのに、どうして大人になると『既にある』と思えなくなっている人が多いのか。それは、世の中がそうさせるから。
ひとりで過ごしていれば比較の気持ちは生まれにくいものですが、成長するにつれ、友達付き合い・学校生活・集団生活・労働などで他者と関わるようになってきます。
すると、自然と自分の置かれている環境が見えてくるようになります。
結果、自分は大したことがないんだ、○○がないんだ・・・などという「ない」現実も見えやすくなります。
これらの経験は一般的に『自分には○○が足りない』『自分はダメだ』と感じやすい出来事です。
全部、よくあることですね。
つまり、それだけ『既にある』が壊れるキッカケは世の中に溢れているということ。出来事が起きた意味を考えようとする人であればあるほど、ね。
だから、『既にある・・・価値がある』という解釈をしておくことが、重要なんです。
実際、世の中は「その人」より「その人が持つ数字や実績」を見られる機会も多いです。一方で『既にある』は「その人の価値」であり、目や数字では確認できません。
この差が、価値があるを奪われやすい一因。
私たちは、価値なんか崩そうと思えば簡単に崩れる環境に、生きているのです。
そうなってるんだから、しょうがない
でも、世の中の仕組みや社会の目は、どうにもできません。責めたって、そうなんだから仕方ない。
だけど、上に挙げたような経験をした人全員が、既にあるなんて思えないかと言われると、多分違います。
その違いは、自分で自分をどう捉えているかどうか。そう。『既にある』と思えているか。
容姿が悪くても、家が貧乏でも、親の愛情がわからなくても、身内から酷い扱いを受けても、先生に怒られても、勉強がうまくいかなくても、受験に失敗しても、異性関係で傷ついても、友人関係がこじれても、会社からクビにされても、頑張っても稼げなくても・・・
結果はそうなっちゃったけど、元々、自分は価値があるはず。だから、またやれる。
ああいう経験はしたけど、そういう自分であっても問題はないのだ。
そう思えるかどうかが、分かれ目と言えるのではないでしょうか。そして、この感覚が本当の意味での『既にある』なんです。
まとめ

『既にある』は『既にある価値が、自分にあること』と考えよう!
あなたの価値は、数字にも表れない目に見えないものです。だからこそ、信じる意識が必要なんですね。
以上!参考になれば幸いです!